エデン日和

現役ライターが、普段書けない駄文を徹底的に公開するブログ

かつて金融機関に勤めていたライターの話

安定って何だろう、とふと思います。学生時代、空前の売り手市場に就活生だった私(リクナビ2009卒)。もちろん内定の2個や3個はザラで、「メガバンク3つ制覇したぞ」とか自慢する者までいたくらい。
特に印象的だったのは、某電力会社と某電機メーカーに内定した人々。「安定してる業界だから」と言いながら、肩で風を切っていたのが印象的でした(某企業T社とS社と電機のT社のその後については、ここで触れるまでもないだろう)。

友達のブロガーであるタクスズキ氏が、次のような記事を書いていたので、改めて就活時代を思い出してしまいました。

laugh-raku.com

かくいう私も、かつては金融機関に勤める人間でした。今ではそのキャリアすら知らない人のほうが多いとは思いますが…。新卒入社から6年が経過し、そろそろ昔のことを思い出してみようと思いました。今の就活戦線とは時代が異なるので参考にはならないと思いますが、「こんな時代もあったのね」と思って頂ければと思います。

Episode I:就職活動期

それまでのほほんと学生生活を送っていた私は、就職活動が始まりそうな大学3年の夏にインターンシップに参加。今では想像もできませんが、当時の私は意識が高かったのです。地方都市在住だったのにも関わらず、高速バスでわざわざ東京まで行って東京のインターンに参加していました。
よく考えてみれば、リクルーターによる一括採用があるので、そこまで熱心に動き回る必要もなかったのですが、就活で様々な大学の人と出会ったり、いろんな大人と出会えるのがとても楽しく、就活に熱中してしまいました。
まあ、その分「内定獲得」が目的になってしまって、その後燃え尽きたのは言うまでもありません。

リクルーターからの電話は何社かからありましたが、昔から経済(特に株価の動向)に興味があったので、金融機関に絞ってOBと会うことにしました。複数の金融機関の中で、先輩→若手OB→役付…のようにリクルーターもグレードが上がっていき、最後には部長との面談になりました。ここまでくれば決まったも同然で、その流れで内定を受諾しました。そして大学4年生の4月に就職活動を終えたのです。

Episode Ⅱ:大学4年次

就職活動が終われば、あとは1年間自由です。時間のある学生は誰かのために(というか誰かのために働くことで承認欲求を満たすために)、就活サークルなどを立ち上げます。そして自分の成功体験を永遠と後輩に語るのです。かわいい後輩の女子から面接の相談とかされると、そりゃあ楽しいわけです。

内定者懇親会と題して、内定した会社主催で飲み会が開かれます。私の場合は会社の保養施設で飲み会が行われました。バブル期に建ったその保養施設は、「ジャパンアズナンバーワン」を地で言うくらいきれいで広大なものでした。そりゃあ内定者も勘違いするわな。だって中庭には川が流れていて、そのほとりにはバーがあるんですもの。

Episode Ⅲ:新卒1年目

大学を卒業し、すぐさま上記の保養施設に泊まり込みで研修が始まります。研修は座学が中心で、テストもありました。1か月の研修が終わると配属が言い渡されます。丸の内に行く者もいれば地方に行く者もおり、悲喜こもごも。いきなり沖縄に行く人もいました(出身が関東にも関わらず)。
いま振り返ってみれば、テストの点数が良かった人ほど良い部署に配属になっていたようなそうではないような(私は人事ではないので知りませんアシカラズ)。学生時代に証券アナリストの資格をすでに持っている人は、華麗に投資部門へ引っこ抜かれていきました。 

Episode Ⅳ:自分の配属

結局私は自分の志望していた部署とは程遠い、ある部署に配属になりました(丸の内まで電車で数十分のところ)。「キャリアは偶発的に決まる」というクランボルツ先生の話を素直に聞ける人間であれば、そのままとどまったのでしょうが、やはり一度しかない人生。数年後にはまったく違う業界で働くことになり、今に至ります。

いまでこそEvernoteGoogle Apps、チャットワークといった便利なツールを多用して仕事ができていますが、金融機関ではそれらのツールを使える会社の方が少ないでしょう。たいていは古い基幹システムを使います(しかも使いづらい)。学生時代からGmailやSkyDriveを使っていた筆者にとっては、その古いシステムで仕事をすること自体がストレスでした。今の便利さに慣れてしまった以上、昔にはもう戻れないんだなあと寂しさに苛まれます。

Episode Ⅴ:時代は回る

歴史にIfはありませんが、もしそのまま金融機関にとどまったとしても、それはそれで毎日を過ごし、今とは違った人たちと出会っていたことでしょう。
面白いのは、どういう道を進んだとしても、振り返ってみれば「最善」に思えてくるということ。岐路というものはそれほど重く難しいものではなく、結局はその人が「その時点でどう考えているのか」に帰結する、本当にシンプルなものなのではないかと思います。残りの人生がどうなるか、皆目見当はつきませんが、それなりに最善の選択をしながら、進んでいければと思っております。